文章を読むということ

 

 最近「読解力がない」というお話が良く出る

 

でも、最近じゃない。昔から読解力のない人の方が圧倒的に多かった。ネットになって自分のコメントが書き込めるようになったから「読めない人」が顕著に、多数出てくるようになったんだろう。

 

いや、読めない」じゃなくて「読まない人」かも

 

それはともかく「行間を読め」という訳のわからない意見まである。

 

行間なんか読めるわけないし、読んだらダメだし、そういう文はいい文章とは言えない

 

もちろん読者を想定していて「この人の文でこう書いてあったらこう」みたいなことがわかっている人達だけに向けて書いている場合は別。

 

 例えば埴谷雄高などはそうかも知れない

 

埴谷雄高ってだあれ」と思ったあなたは大正解です。往年の知る人ぞ知る偉大な作家だが、一般的には全く無名です

 

 私も死霊を持っているけれど10ページも行かずに挫折した(笑

 

 

話を戻すと、入試問題でも高校入試の問題を小六が読みこなすのは普通は無理です。 センター試験の国語を中三が読んでも訳がわからないと思う

 

 できる子もいる」という突っ込みは入れないように。あくまで一般的にです。

 

何故読めないか」と言えば、答えは一つ「言葉を知らないから」。中三がセンターレベルの文を読もうとすると、読める漢字が恐ろしく少ない上に、その意味もほとんど不明のはず。

 高3で読めない場合も理由は同じ。言葉を知らない、に尽きる。

 

 ある高三生に「それは百害あって一利なしだ」と言ったら「それどういう意味ですか」と聞かれて困惑したことがあったが、つまりはそういうことがたくさんある。

 

 で、何が言いたいかというと、まず読める漢字を増やせと言うこと。書けなくて良い。とにかく読めるようにしよう。それから慣用句、四字熟語、比喩を覚えなければ文は読めない。

 

 多分その中で比喩が一番難しいと思う。

 

例えば「はちまきを締め直す」という表現は、確かに具体的・物理的な意味がないとは言わないが、大切なのはその表現の持つ意味なのであって「物理的」な意味ではない

 

文のレベルが上がれば比喩(メタファー)はもっと高度になっていく。それを覚えないと文は読めない。

「行間を読め」と言う人達はこういうことを行間と言っているのかも知れない。

 

国語は、いや言葉は言い方と状況で裏の意味を持つ場合も多い。

 

例えば私の家のリフォーム工事が当初の予定より一ヶ月以上遅れた。

私は工事屋さんに「忙しいときに頼んで申し訳ない」と挨拶をする。これを文字通りに取る人は言葉の持つ意味を取ることは不可能だろうと思う。

「本当にそう思っているかも知れないじゃないか」という反論が聞こえて来そうだが、当事者であれば「皮肉」と聞くのが当然。ビジネスの世界であればもっとそう。

 もしこれが入試問題の中の一節であれば、前段までに状況が語られているだろうから「文字通り取った」ら100%間違い。そんな問題誰も作らない

 

 行間を読め」のもう一つは「教養」の話なのかなと思う。高校生ならこれくらいの本を読んでいて当然、という前提での文の読解だから。

 

 それでも私は「行間をよめ」と言うことがいまだに理解できない。30年近くセンター現代文を教えてきたがわからない。背景知識というならものすごく良くわかるが。

 

私は「行間なんか読んじゃいけない」と教えてきたから

 

 さて、話をかえてみる。以下は高校入試レベルの中の一節である。原文は金田一晴彦先生の「日本語を見直してみませんか」という本から取ったようだ。市販の模擬テストの中にあったので、中三生あるいは高校一年生にも読ませて反応をよく見た

 

「--日本では共通語と方言の違いが相当激しい。これがヨーロッパあたりへ行くと、スペイン語とポルトガル語の違いは青森県と福島県の方言くらいの違いしかない。それでも二つの国語である。ちょっと聞くと、スペイン語とポルトガル語が話せるなんていうのは、何か非常に偉い気がする。しかし本当は、青森県の言葉と共通語が話せるということは、もっと違った言葉を使い分けることができる事なのである。---」

 

 実際はもっと長いが、ほとんどの子はこの部分に気を取られる。もっとも多い反応は「この筆者はバカなんじゃないの、ポルトガル語とスペイン語が同じわけないじゃん」だ。(金田一先生ゴメンナサイ)

 

次が「ホントかなあ、なんか信じがたいなあ」

 

「へえ、そうなんだ」という本来取るべき感想はほぼない。

 

国語の成績のよい子は「ああ、この人のこの文での主張ですね。本当か否かはともかくとしてこの問題を解くときにはそう考えておきます」だ。これが正解。

 

 これは多分基本的な学習に対する姿勢がどこかでずれてしまっているからだろう。

 

「理解しろ」、「疑問をもて」、「丸暗記はいけない」等々、子供を惑わし、惑った子供がそのまま大人になるから文が読めるようになどなるわけがないし「自分の頭で考える」なんて事ができるわけないのである。(ついでに言えばSNSで飛び交っているのは「自分に都合良い読み方」なのでまねしてはいけません)

 

数学で良く言われる「公式丸暗記はダメです」と同じで、本来覚えて初めて役にたつモノを、最初から否定するのでできるはずの子もできるようにならない。

 

ではできるようになるには、と聞かれたら「とにかく知識を増やせ」。知識が増えてから練習すれば「これはこう読み解く」という解説がよくわかるようになる。

 

 私はセンターの問題を質問と選択しだけで8割から9割根拠を持って正解できる。受験生の場合は文が読めるようになって、答え方を覚えれば選択肢の正解が向こうから手を上げて「俺だ、私だ」というようになると笑っていうが、何人もそういう風になった。

 

 ついでに文がきちんと読めるようになった。

 

そういえば、国語のテストで国語の先生に解き方を聞いたら「傍線部のそばに書いてあるからそこだけ読め」と教えられたんですができるようにならない。という子が後を絶たない。当たり前だが、こんな読み方をしていたら「読解」どころの話じゃない。

 

「傍線部のそばだけ」は絶対ダメです。

 

それから文を読むスピードも大切。できれば3回、最低2回は読むこと

 

これも「時間がない」といういちゃもんが必ず付く。だが読書じゃなくて試験なんだから何度も読み返さないと細部が頭に入らないので、問題を解くときに考える時間が多くなって時間切れアウト。

 

 仕事を早く片付けるためには段取りが大切だけれど、勉強も同じです