現代国語の解法」ではきわめて基本的なことを書いた。すなわち「漢字の読み」、「理想追求」、「テストとしての現代文」などどちらかといえば文を読む前のトレーニングだった。
 ここでは、次のステップとして内容を読み解くことについて是非知っておきたいことにふれたい。

Ⅰ.国語は得意だった
 君たちの中に高校入試の頃までは現代文は得意だったのに、あるいはそれほど苦にはしなかったのに、高校で学年があがるにつれてつらくなったという人が結構多いのではなかろうか。特に3年生になったら急に現代文の成績が落ちたという人もいるだろうと思う。
 その原因の一つに、たとえば高校入試のテクニックの一つとしてよく教えられる「傍線部の周囲だけを読め」と言うのが関係しているように思われる。「入試は時間が決まっているから、全体を読み通している時間がないし、傍線部の側に答がたいていあるから」、と言うことだったね。
 高校入試くらいならそれでいいかもしれない。しかし、大学入試はそうはいかない。だいたい読まずに問題を解こうなんてことが無茶なんだ。が、それだけならまだしも、普段の練習や国語の時間も、中学時代の習慣をそのまま引きずってしまったままでいる。だから問題を解く以前に、文章をきちんと読むことができていないし、その上語彙も増えない、背景知識も増えない。
 こんな状態でセンター国語をとこうなんて無茶もいいところだ。君がまだ1年生か2年生なら「傍線部周辺」の習慣はすぐにやめて、問題文を最低2回は読む癖をつけよう。練習すれば一回の時間で2回読めるようになる。集中速読ができなければ決して点数が上がることはない。そうした練習を積んで行けば、テストの時は一回でほぼ内容がつかめるようになるはずだ。集中力が違うはずだから。



Ⅱ.絶対必要な背景知識
 モダン、ポストモダンという言葉を聞いたことがあるだろうか。あるいは二項対立という言葉を聞いたことがあるだろうか。現代文を読み解く上できわめて重要なこのフレーズについて最初に書いておきたい。

1.近代的自我について
 モダンとは近代精神のことである。では近代とは何か?現代社会や倫理を学習した人にはわかると思うが、この近代とはヨーロッパに起こり、次第に世界に波及した、中世的精神とは異なる、新しいものの見方・精神ということである。
 中世とは簡単に言えば「神」がすべてであった時代のことである。これに対して近代精神とは「人間至上主義」、あるいは「人間中心主義」と呼ばれるものである。「人間の理性」が全てに勝るという考え方だね。ヨーロッパ近代合理主義という言葉を耳にしたことがあるだろうけれど、近代科学を産み出した「合理主義的考え方」をモダンと呼んでいるのである。ヨーロッパ中心主義ととらえてもいい。そういえば世界史なんかがそうだね。「世界史」といいながらヨーロッパ、特に西ヨーロッパを中心に記述してあるのは世界史を選択した人なら皆わかると思う。
 
 これに対して20年ほど前からポストモダンという言葉が現れてきた。ポストモダンとは「脱近代」、あるいは「反近代」などと訳されている。文字通りに訳せばポスト、つまり「後」であるから「近代以後」ということになるのだが、要するに、「思想とはヨーロッパ近代精神」だけではないのだということ、あるいは人間とは「非理性的なもの」だという考え方だと思ってよい。難しい定義は、専門家であるその多くが大学に棲息しているおじさんやおばはんに任せておけばいい。高校生にそこまでは必要ない。
 モダンにははっきりとした思想があるが、ポストモダンには「こうだ」と言い切るものはない。いや、むしろ言い切らないのがポストモダンであるといえる。
 
 私たちの日々の暮らしが直接近代思想や哲学に関係しているなどととは誰も思わないだろうが、たとえば数学が一般的には全く気づかれないまま、私たちの生活に深く関係しているように、モダン、ポストモダンという思想状況もまた、私たちの生活の背後の隠れた部分に厳として存在している。

 というわけで、倫理はさらりと復習しておこう。こんなところで倫理にリベンジされるとは思ってもみなかったと思う。
  
2.二項対立
 二元論ともいう。簡単に言うと「対義語」のことだ。自己に対して他者。モダンに対してポストモダン、グローバルに対してローカリズム、精神に対して物質、西洋と東洋、等々。挙げればきりがない。
 現代文の中には必ずこの二項対立が含まれていると思ってよい。だから問題文を読むときのスタンスを決めよう。入試問題では必須だ。前述したモダン、ポストモダンはその典型なのだ。だから最初に解説した。現代思想の潮流の表面だけでも知らなければ現代文を読み解くのはなかなかに難しい。
 簡単な問題でも正解を選ぶときには絶対に必要だ。その問題文が何を主軸に書かれているのかが掴めれば、設問に対する適切な解答を選ぶことは比較的簡単になる。


Ⅲ現代文を得意科目にする。
 Ⅱをふまえて実践に入ろう。
 
 現代文に限らず、「難しいことをやれば早く上手になる」的思いこみが世間にはあるようだ。また、「問題は自分の力でやらなければいけない」的思いこみもあるようだ。そのほかにも、丸暗記の弊害とか詰め込みはだめだとか概念もはっきりした定義のないまま流布している。でも、勉強に限らず習い事を上達させるのは模倣と練習だね。つまりは覚えることだ。丸暗記だろうが何だろうがとにかく最初は覚えて使うことが基本になる。
 それができたら次の段階として、いわゆる応用になるわけだね。そのときに「慣れる」ということの重要性に気づいてほしい。英語や古典・漢文なら訳文を読んで原文を読むと早く読める。もちろんそればかりではだめなんだけれど「慣れる」ために大量に読むには実にグッドな方法だ。
 現代文の場合なら自分のレベルに会わせて中学レベルからスタートするか、高一レベルあたりからスタートするかを決める。決めたら大量に問題をこなす。間違いを気にしてはいけない。時間を区切って短時間でたくさんの問題を読む。
 たくさんやるには学校課題で配られた問題集はもちろんだし、本屋さんに行けば薄いものでの問題集がたくさん出ている。安いし、初級から上級までたくさんある。問題集の模範解答は記述の場合、あくまでも模範解答なので、できれば国語の先生などに見てもらうといい。模範解答通りでなければダメなんて事はないから。

 近代を説明するに最適な過去問を紹介しておこう。1999年度立教経済学部の現代文だ。
 予備知識として
1.マックス・ウェーバー:  ドイツの社会学者(1864~1920)
2.世俗化: 社会学の専門用語で「世界が宗教的価値観から     離れること」という意味で、一般的な世俗にまみれてという意味ではない。

 ①<抑圧する近代合理主義>

下の文章を読んで後の設問に答えよ

 近代社会の基本原理は「合理主義」、あるいは「合理化」にあるということは、マックス・ヴェーバーの指摘を待つまでもなく、明らかなことである。が、なおこれに関して二つの点が指摘されねばならない。一つは「近代合理主義」の精神が優れて西欧的なものであったとしても「合理主義」という言葉を広く解釈すれば、それは十六、七世紀以降の世界全体を通ずる大きな傾向であって、西欧のみが、無知と蒙昧の暗夜の中にただ一つ輝く世界であったわけではないということである。神秘主義、直観主義、完成主義、あるいはやみくもな行動主義に対立するものとして、理性と悟性の尊重、人間の行動と社会の組織における論理と計画の重視等々を意味するものにして、合理主義という概念を理解すれば、それは西欧のみならず、近代において栄えた世界各国においても共通に見られたものであるといってもよい。宗教と魔術からの解法を意味する「世俗化と脱呪術化」ということは、近代社会の基本的特徴といわれるが、その限りでは、それは西欧社会にのみとどまる現象ではない。
 たとえば我が国の江戸時代は、世俗化と脱呪術化の著しく進んだ時代であったと言うことができる。キリシタン弾圧後、江戸時代において宗教は、完全に宗教としての力を失ってしまったと言うことは、ほとんど異論のないところである。もちろん迷信や、宗教的慣習は残っていたけれども、江戸時代の支配階級である武士はほとんど宗教に依存するところがなかったし、またその支配イデオロギーである朱子学は、それなりに一貫した合理的な世界観に基礎づけられていたのである。江戸時代に、実験的自然科学はともかくとして、人文科学や数学の面で大きな進歩が見られたのは偶然なのではない。
 また、中国の清帝国は十七世紀半ばより十八世紀末まで、康煕・雍正・乾隆三帝の時代を通じて空前の繁栄を誇ったが、その社会の精神も、世俗的かつ合理主義的なものであった。科挙に基づく官僚制は、システムとして完成の域に達し、ヨーロッパ諸国は文官任用試験の制度を中国から輸入したのである。清代の代表的な学問である考証学は、合理主義と批判的精神に貫かれていた。
 従って「合理主義」という言葉は、広い意味では、近代のいわば世界精神であったのであって、それは宗教的信仰が、七・八世紀から十五世紀頃までの中世の世界精神であったのに対応しているのである。それゆえ、近代西欧社会の「合理主義」精神に対して、それ以外の全ての社会を支配しているものが、全て「伝統主義、呪術主義」であるかのように説く一部の人々の議論は基本的に受け入れがたい。「暗黒の中世」という観念が誤りであることは、最近しばしば強調されているが、それと同じ意味で①「無知と蒙昧の非西欧」という観念も訂正されねばならない。
 しかしながら、第二に近代西欧社会が、決定的ないくつかの点で、非西欧社会、あるいは前近代社会と異なっていることは事実であり
そのことはいくら強調してもしすぎると言うことはない。それは産業資本主義の発展、民主主義的な市民社会の確立、自然科学とそれに基づく技術の発達である。そうしてそれによって近代西欧社会は、史上かってないエネルギーを噴出させ、世界を、単に力によってだけでなく、思想的・文化的にも支配するようになったのである。そういう意味で近代は「西欧の時代」であった。そうしてこのような近代西欧社会を支えたものが、②合理主義一般とは区別されたものとしての「近代合理主義」であった。③「近代合理主義」の特徴は、一つにはその能動的、積極的、徹底的性格にある。すなわちそれは、宇宙の体系的理解、人間社会の組織化、人間による自然の征服において、論理的首尾一貫性をあくまでも押し通そうとするものである。合理主義的態度一般の中には、理性の尊重とともに、その限界も容認し、「世の中には理屈にあわないこともある」ことを受け容れようとする面もふくまれている。しかし「近代合理主義」は、そのような理性の限界を容認しない。もし「理論にあわない」現実が存在するとすれば、それより高次の理論によって説明されねばならない。人間社会の「不合理」や、自然の人間に対する「不条理」は正されねばならないというのが、近代合理主義の姿勢であり、そういう意味で、それは戦闘的合理主義であると言うことができる。
 このような態度は、必ずしもつねに真に「合理的」な結果を生むとは限らない。理論に会わない現実は現実は「まちがったもの」として無視され、「あり得ないこと」として、その存在が否定されるということになりがちである。また、人間や自然に対する行動を、早まって過度に「合理化」することは、予期しない失敗と、損害とをもたらす危険性も少なくない。
 しかしながら、このような近代合理主義の徹底性が、普遍的な真理追究への情熱、そうしてその具体的表現としていつどこでも適用できるものとしての形式的な法則の確立への努力、そうしてその応用として、人間社会と経済および技術の、形式的ルールによる組織化を生み出したのである。それが西欧の世界支配をもたらした強大な力を作り出したことはいうまでもない。
     (竹内啓の文章による)
  
問A線①の部分について。ここで言われている「無知と蒙昧」 の説明として最も適当なものを一つを、左記各項の中から選び、 番号で答よ。
  1.自己犠牲の精神にとらわれていること
  2.迷信や偏狭な信仰にとらわれていること
 3.経験知を重視すること
  4.伝統を重んずる民族主義に支配されているということ
  5.世俗的なものにとらわれているということ

問B線②の部分について。ここで言われている「近代合理主義の説明として最も適当なものを一つを、左記各項の中から選び、 番号で答えよ。
  1.論理と計画を重視すること
  2.直観主義・神秘主義・呪術主義を否定すること
  3.社会のルール化により規律を一元化すること
 4.不合理・不条理なものを認めないこと
 5.理性と悟性を尊重すること

 

問C 線③の部分について。このことによる負の側面は何か 本文に即して、句読点とも二十字以上三十字以内で記せ。


問D 近代合理主義の帰結として成立し、思想や文化に至るまで西 欧の世界支配を可能とした制度や条件とは具体的に何か。それを 説明した一文を本文中をから探しだし、その初めの五字と終わり の五字をとを記せ。ただし句読点は含まない。

 近代を理解する上でなんとでも読み返してほしい文である。出典は「教養としての大学受験国語: 石原千秋 ちくま新書」であるが、石原の本は一般的に高校生には難しい。けれど、関心のある人は是非読んでみてほしい。受験用と言うよりは教養書であり、現代思想の最先端をかいま見ることができる。

問Aは2か5の二つにすぐ絞れる。そして世俗化の社会学的な意味を知らなくても2だとわかる仕組みになっている。

問B合理主義と近代合理主義の区別がつけば簡単。4だけが近代合理主義の説明

問C「負の側面」を説明する必要はないよね。このような(近代合理主義の)態度は、真に合理的な結果を生むとは限らない」以下の説明をまとめる。 「理論にあわない現実は無視され、その存在が否定されがちなこと」的なことを書いてあればよい。

問D結論部に「そうしてその応用として、人間社会と、経済および技術の、形式的ルールによるーーー」とあるが具体的にであるからここでは不可。具体的な部分は「それは産業資本主義の発展~基づく技術の発達である。」まで。指示語の「それは」はいらないから、産業資本主義~を抜くことになる。

表題になっている「抑圧する近代合理主義」の意味がわかってもらえただろうか。